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2023/04/25
岩本晶子さんのライナーノーツ(京都の町からもう一度/カーテンコール)
かつて洋楽レコードには必ずと言っていいほどライナーノーツと呼ばれる解説文が封入されていました。レコードに針をおとす前に読む人、何度も聴いてからあらためて読む人、人それぞれの読み方がありましたが、いずれにしても楽曲の想いをさらに深める『想像の旅』を、このライナーノーツが担っておりました。
水田竜子は、2018年発表の『礼文水道』よりオフィシャルサイトにてライナーノーツ掲載をはじめました。執筆いただいているのは岩本晶子さん。かつて音楽誌のライターを担当し、現在は次世代のライターを育てる専門学校で教壇に立っておられます。
楽曲とは関係ないプライベートを掘り下げるインタビューが乱立している中、氏のインタビューは楽曲に対する探究心と新たな発見、そして何より歌い手の的確な分析と愛情が溢れておりました。
今回の『京都の町からもう一度/カーテンコール』でも執筆を依頼させていただきました。今回も、岩本さんにお渡しした資料は、詩と楽曲音源のみです。余計な情報はいっさいお渡ししない中で創り上げてくださったライナーノーツです。
読み方は人それぞれです。お聴きになってから、、、 お聴きになる前に、、、あるいはジャケット写真を眺めながら、、、人それぞれです。それがライナーノーツです。どうぞ歌の旅をお楽しみください。
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“行間を読み解く”という言葉がある。
水田竜子の30周年記念曲「京都の町からもう一度」には難解な語句はなにひとつなく、なじみ良い親しみのある言葉のみで綴られている。
だからこそ、フレーズとフレーズの間に込められている想いを心して感じ取る必要がある。
“色々あったけど…” と、ひとまとめにしているようでいて、実はここに、この歌を聴く人それぞれの “色々” を置き換えるための “余白” が隠されている。
また、“恋に破れて旅する女は後ろ向きである” という幻想も捨てることが望ましい。
“今度” に込められているのは、いつか訪れるであろう倖せではなく、必ず倖せになってみせるという想いであり、確信的な決意そのもの。
まるで、新たな倖せをもう見定めているとでもいうような──。
この歌の中で、主人公の女性の後ろ姿を見ることはない。
その後ろ姿を追う形ではなく、リセットされた穢(けが)れなき心で前へ前へと歩を進める女性の、未来(さき)を見据えた瞳の視点で聴くことが、この歌の核心に迫ることのできる正しきルートなのだ。
タイトルフレーズを耳に、そして心に刻んでみれば、二回繰り返される「もう一度」に、“想い出” の重みと“夢” に向かう軽やかさが共存していることが理解(わか)る。
彼女が新たな倖せを見つける日はもう、近い。
その一方で、もう一人の主人公が愛を歌い上げながら「カーテンコール」を浴びている。
この歌をたどれば、水田竜子の軌跡とその胸のうちを知ることができるまさに等身大のサンクスソング。
私たちはなぜ彼女の歌声に惹かれるのか──その答えもこの中にある。
伸びやかな高音、心を落ち着かせる語り調の中低音、その歌世界をリアルに再現する歌唱テクニック、きらめきをまとった表情、しなやかな仕草……いずれも正解であるが、なにより、彼女が客席へ、聴者へ贈り続けていたもの──その芯部となっているのが、嬉々たる想いでラッピングした“愛”であり、たえることなくあふれ続けている“ありがとう”であるからだ。
まばゆいステージライトが光のカーテンを織りなす中、誇らしくも輝きを見せていたかと思えば、次の瞬間には目の前にいて、寄り添うように微笑みかけてくれる。
その存在はプリズムだ。
物語を読み解くには読解力がいる。
歌を聴くには聴解力が──30年という月日をかけて熟練・熟成された水田竜子の歌を聴くことで、自ずとその聴解力は磨かれ、より歌を愛おしいという想いが深くなるはずだ。
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©akiko iwamoto
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